昭和40年03月20日 朝の御理解
よく聞く事で御座いますけれども、先生、どう言う様な信心をさせて頂きましたらおかげ頂きますでしょうかと。どう言う様な信心をさせて頂いたら、おかげを頂くのかと。一生懸命信心の稽古に、打ち込む以外にない、まあいうならそうですね。信心の稽古を本気でせずして、おかげを頂けるという事はない。本当のおかげを頂けるという事はない。信心の稽古を、本気でさせて頂く以外にはないでしょうねというわけ、いう他にないわけなんですけれどね。
まあ、それをもっと具体的に言うなら、こういう事が言えるのではないでしょうかね。いよいよ本番という時に、信心がいい加減になるからおかげになりませんという事がいえると思うです。いよいよ本番というときに信心が、本当日頃の稽古をは、どこえやらと言う様な事になって来るから、おかげを受けられんのです。いうなら、普通では目の前が真っ暗くなるとか、力落としをしたとかと言う様な時に、愈々光を頂くのであり、普通の人が力落としをしたという時に、力を拾うていくのであるという事です。
信心はどうすりゃおかげが受けられるだろうかという事は、日頃信心の稽古をしっかりさせて頂く以外にはない。そしていわゆるその、稽古の時にはです、大した事はありません。稽古なのですから。ね。いよいよ試験という時にです、それを良い成績を収めて初めて進学なり入学なり、ということ例えばできるようにです、学校の方で申しましてもいよいよ本番と、信心させて頂いてから実感させて頂く事はですね、もうよくあのぶっつけ本番と言った様な事を申しますけど、そういう事は絶対ないですね。
もう稽古させた上にもさせてある。試験をする上時にはですもうする前に十分の事を教えてある。そういうそれが試験なのですから。ぶっつけ本番という事は決してありません。さあさあ是からぞ本番ぞという時に、その本番をいい加減にして信心、おかげの受けられる筈はないという事が、皆さん解らにゃいかん。愈々本番という時にいい加減にする。それがどう言う様な事からそう言う様な事になって来るのだろうかと。
日頃稽古させて頂いておるのに、、いよいよ本番という時にです、信心じゃない方向の方へ心が動いたり、躊躇したり、迷うたり、力を落としたり、真っ黒うなったりするだろうかという事になる。これを例えば私の信心をじっと振り返ってみましても、確かにそうです。もし私が光を頂いているというなら、目の前が真っ暗うなるといった時に、光を頂いて来たと思います。本当にお力添えで御座いましょうと人から言われる様な時に、私は必ず力を拾うて来たと思います。
いうなら、日頃信心の稽古をしっかりさせて頂いておったおかげでです、愈々ぶっつけ本番の時には、もう実にもう自分で自分に惚れるです。どうしてこういうこのこの場合に、こういう状態でおれるだろうかと言う様な、これでいわば無事そこをパスしておるという事です、いつの場合でも。それが今どう言う様な事でです、私はそう言う様なおかげを受けられたかとこういうと、私と神様との間にいつも親身なものが通うておったという事だと思います。いわゆる信心が好きであったという事だと思います。
唄の文句にありますように、自分たち二人の中に水差す人があるが、そういう水差すような人達にです、自分達が酔うたその後の二人の姿を見せてやりたいって言った様な唄がありますですよね。もう水を差すような事があればあるほど、かえってです、その思いが強うなっていくというあり方なんです。親が許さん、例えば恋をする、どうでも二人は一緒になりたい、どうでも二人を引き離そうとする力が強ければ強い、強いだけ、二人は結ばれていく。ね、
駆け落ちしてからでもと、もし叶わんなら心中まですると言う様な事になって来るでしょう。反対があればあるほど、水を差す人があればあるほど、いわゆる信心が好きであり、相手が好きであり、だからそれが出来るのじゃないかと私は思うです。夫婦の中でもそうです。難儀困迫という時代がです、夫婦の者が励ましあい力になり合い、さあここで一つ頑張らせて頂くぞというて、二人の難儀があればあるほどに夫婦の中はしっくりといくと言う様なおかげを頂くでしょう。
お互いに包む愛情が無くなって、何かがあるとあるたんべんに、溝が大きくなっていく。もうそれは既に愛情が無くなって来つつあるから、何かがあればあるたんびんに、もう私はこげな難儀はで、しきらんというてその二人の中に溝が大きくなって行くということなのですから、結局は神様と私共の間にいかに密接なです、ね、交流するものと、親身というものが実感になからなければならないかという事が、皆さんも解るですね。そうでしょうが、皆さん。
誰が何というてもです、言えば言うほど、その両方からの引き合う力というものが強うなるというためにです。信心が好きになっておかなければならない。いわゆる本気で信心の稽古をさせて頂いて、稽古の楽しみというものを身につけておかなければならない。その時初めてです、さあ試験ぞ、さあこれからが本番ぞという時にです、ね、見事にそこを乗り越えて行くことが出来る。いわば目の前が真っ暗うなる様な時に、愈々日頃の光を発揮していく。
お力落しで御座いましょうと言われる時に、かえって力を拾うていくと、私はどうすれば信心が出来るだろうかと、おかげが受けらどうすりゃおかげが受けられるだろうかと、ね、ぶっつけ本番の時を大事に出来る信心を日頃しておけと、私は言いたいですね。これは私の信心の体験からそれを皆さんに、もう確信を持って申し上げることが出来るです。ね、ぶっつけ本番の時に、そこをヨロヨロしながらで、いつまでたっても、私は良い信心が身に付くはずはない、良い信心が身に付かなければ良いおかげが頂けるはずが、勿論ありませんからね。おかげを頂かなければなりません。